4月25日(水)、着物リメークの仲間と、私は5:20伊勢崎駅から合流して、群馬中央バスツアーに参加しました。福島県の三春の滝桜と花見山への「桜の花見」です。お弁当とおやつが出て、5980円でした。運転手が複数体制で、添乗員もついて、バスの中で景品の出るじゃんけん大会もあり、楽しい旅でした。
三春の滝桜は、23日に開花宣言があり、24日と25日が暖かい日が続き、一気に開花が進みました。白い花とピンクの蕾が青い空をバックに素敵なコントラストを与えています。吉野山の硬い蕾に会えたあとで、1000年の歴史を持った見事なしだれ桜を見て大感激です。桜と桃と梅が一度に咲くいわれからの「三春町」の名の通りでした。
滝桜のあとの花見山は見事な桃源郷です。四方八方が春・春・春です。やはり桃・梅・さくら・辛夷・レンギョ・菜の花・ボケなどが咲き乱れ、土手には、イヌフグリ・土筆が咲いています。
今回の旅は、暖かい日差しのなか、汗をかくくらいの花めぐりをのんびり満喫し、むせ返るような花のかおりを胸いっぱいにできた一日でした。これから春から初夏へ季節が移るときです。
「吉野山の桜が見たい」と、4月6日~7日にクラブツーリズムのツアーに一人参加で行ってきました。6日、家を5時過ぎに立ち、高崎始発の新幹線で出発し、京都の清水寺、南禅寺、哲学の道、醍醐寺と進み、奈良泊まりでした。京都の桜は、3分~5分咲きでしが、哲学の道の桜はまだまだこれからでしたが、醍醐寺のしだれ桜は見事に咲いていました。ソメイヨシノはこれからです。
7日は、朝早く吉野山に向かいました。途中の桜は幾分か咲きだしていましたが、下千本でさえこれからでした。「いつもの年なら見事な桜が皆様をお待ちしていましたが」と、案内のガイドさんも、すまなそうに右へ左へと、丁寧に案内をしていました。ガイドさんは、「山桜はソメイヨシノより遅いので見ごろは連休開けになりそうです」と言っているそばから、雪がちらつきだすほどの冷たい風の中の散策で、手袋が必要なほどの天気でした。それでも、せっかく夢見た吉野山に来たのだからと、一人参加の女性3名で、昼食抜きでピッチの速い足運びの散策を楽しみました。黒門→金峯山寺→吉水神社→竹林院と駆け抜けるように3時間を過ごしました。体には吉野山のパワースポットの霊気が染み込み、蕾ながら開花へのエネルギーをため込んでいるピンクの蕾の色が、けなげで幼い乳児の握った手のようです。待って待って、開花の時には、かわいらしい笑顔がはじけるのでしょうか。満喫の吉野山でした。「山笑う」の吉野山ではなく、「山ほほえむ」の吉野山でした
清水寺の桜を見て、二年坂を下りて高台寺へ。しだれ桜の下の雲海のなかを龍がうねっている庭は見事でした。
哲学の道の桜の蕾は固くこれからです。つぼみのトンネルが川沿いに続いていました。外国からの観光客の方が多かったです。
長谷寺の春待ちかな桜。園内にはいたるところで、牡丹の蕾が膨らんでいました。アジサイの芽吹きが進んでいました。
上記の写真をクリックすると大きくなります。
お彼岸の日にはいつものように近所のお寺(天増寺)にお墓参り。持って行くお花は、部屋のシクラメンの三鉢から少しずついただき、咲きだした紅梅、クリスマスローズです。庭に咲いた花を持って行くのが習わしです。秋の彼岸は、女郎花、ゆり、夏菊、オダマキなどです。亡き家族に供えるための花を大事に庭で育てています。
朝日新聞社主催の「さわやか寄席」に午後行ってきました。会場はみどり市大間々町のながめ余興場です。みどり市の文化財になっている場所で、600人程度が入場していました。回り舞台があり、格式のある会場です。
出演者は、柳家三三、立川生志、桂歌丸です。2時間があっという間に過ぎました。
大きな声を出して笑いました。一人で、小物は手ぬぐいと扇子だけで、一つの世界を広げ、集中させてしまう落語という文化はなんだろうと、興味があります。一人数役をこなし、場面展開と間の持ち方、上半身の表情など、創造力をそそられます。一日に1冊を読む日もあるくらい、読んでない本が手元にないと不安になるくらい本好きですが、落語は同じくらい好きです。特に歌丸のフアンです。
3月11日~15日まで、阪急交通社のツアーで台湾へ、所沢の妹と行ってきました。故宮博物院と九イ分への期待があったからです。現地のガイドさんが素晴らしい人で、すらすら年号や数字が出てきます。恵まれた旅になりました。どこでも日本人観光客が大勢いました。
台湾一周という企画のため、バスと特急列車での移動が多く、台湾の東西南北の地形と台湾海峡、太平洋、北回帰線による気候の違いなどがよくわかりました。3900メートルを超える玉山(日本統治時代は新高山)をはじめ、3000m級の山が連なる山脈が縦に流れる。台湾の山々の岩は、多くが大理石などであり、貴重な岩石やメノウ、水晶、バラ石などの宝飾品などの特産品が輸出されています。産地近くの花蓮駅は様々な石で駅舎が作られていました。
台東の花蓮駅から台北までの特急列車の旅も、熱帯地域から亜熱帯への景色が流れていました。落葉樹がなく、ガジュマルなどや多くの常緑樹の緑つややかな葉が繁っていました。台風の通り道である台湾は、また地震国でもあります。台湾が存在する地形的意味から、オランダ、日本、蒋介石などの占領が続いた台湾。九つの民族からなる多民族国家の台湾。しかも、中国との微妙な立場にある台湾。国の位置がもたらす宿命でしょうか。
台湾の気候は、3月~5月は雨の時期。ホテルの室内は冷房システムはバッチリのみ。暖房は近代ホテルのみ。それほど亜熱帯・熱帯気候の台湾。傘は必需品の旅ですが、傘を使ったのは一回のみ。バスでの移動中は降っていても、降車すると止んでいました。曇り空のみでしたが、最終日の故宮博物院では、真夏の空のような暑さでした。20度前後の気候でした。おかげで杉花粉(杉がないためでしょうか)が飛ばず、湿気があるために花粉症の咳とくしゃみは出ず、羽田に着いた途端、咳とくしゃみがでました。
果物が豊富です。台湾バナナ、マンゴー、スイカ、パイナップル、オレンジ、メロン、釈迦など夜店で買い求めました。毎晩フルーツ三昧でした。
両替は、一万円が3500元。レートは2.85。2万円を両替し、7000元がお小遣いでした。物価は約3分の一です。
いたる所に果物屋さんがあり、車の屋台も出ていました。どの果物もジューシー。水が硬水のため飲料水にならず、日常はここからも水分をとっているのでしょうか。
野菜がたっぶりの食事です。薄味で辛さのない食事です。毎回ごはんが出ますが、粘り気がなく、固め。ホテルでの朝食は、台湾の一般的な蒸しパン、おかゆ、パンで過ごしました。
夜市が各地にあって、食事や材料、衣料品や日用品が毎日路上にでています。土日は混むそうです。自宅で食事をする習慣がない生活です。食事は出勤前、昼、夜とも外食をする習慣だそうです。
花蓮の駅に着く手前の北回帰線の地点です。6月22日は真上に太陽がきます。
ホテルの壁には、木材の見事な彫り物がありました。いくつもいくつも物語が掘り込まれ、続いています。
台湾そのものが地下が隆起してできています。そのため堆積岩で全体ができていて、この渓谷では岩石が表面に出ています。いまだ隆起しているそうです。恐ろしいほどの地層のうねりが目の前で浮き出ています。水の浸食が岩肌を見せています。貴重な岩石が表面に姿を現していました。(写真をクリックして大きくしてください)
採掘しているので、水は白銅色です。
台東の花蓮から台北まで特急列車に乗りました。切符を入れる小さなポッケットが前の背もたれにありました。寝ていても切符チェックができるためだとか。
台北からバスで一時間で九イ分(きゅうふん)へ。金採掘以前は、9軒が住んでいたのが地名の由来とか。千と千尋の神隠しのモデルとなった建物。万の神々が来ているようです。
金鉱発掘の作業員が過ごした飲み屋街は、今は観光地です。急な坂道を若い観光客がたくさん来ていました。これも宮崎駿効果でしょうか。
故宮博物院は期待するものがたくさんありました。長い間の権力の座が持った宝物です。青銅器、玉、磁気、陶器、掛け軸、書などなど。人間の力はすごいです。人間の手を通して生まれたものです。もう一度一日かけてみて回りたい博物院でした。